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香川県高松市の HARI salon & studio MOISA の院長のブログです。タイトル通り、毒を吐くことも結構あるかも…?
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世間で大流行のタブレット学習。

学研にもiコースというのがありまして、
私も約1年前から様子見でやってはみたのですが、
このたび、時代に逆行して、笑、辞めることにしました。
理由は自分自身がそこまで活用できなかったこともあって
うちの子どもたちにそこまでの需要がなかったこと、
また通信教育・タブレット学習専門の会社が
これだけ派手なCMを打って内容的にも充実してる(かどうかは
実際使ってないのでわかりませんが)なか、
学研教室のものは正直言うとそこまで充実していなかった、
というのが正直なところです。
なのでうちに来てる子どもでも「○○ゼミもやってるー」っていう子、
います。
まあ、そんなにやって親も子供も大変やね、とは思いますが、
そうやってどっちも使い分けできているとしたら
全然アリだと思っています。



ただ、子供=未来を担う人間を育てる立場にいる者として
こういうものに頼りすぎる風潮には
ものすごく反発を感じます。

タブレット学習って確かにゲーム感覚で勉強ができるので
「楽しくできる」
「自分でできる」
「興味を持てる」
というようなきっかけづくりや繰り返し学習、
個人のペースに合わせた学習という意味では
すぐれていると思います。
ただ、それはあくまでも「どうせ覚えないといけないことを
ちょっと楽しく勉強する」というだけの話であって、
「教育」=「人を育てる」
というもののほんの一部であるにすぎません。
私の時代で言うと「受験(のためだけの)勉強」として大手進学塾や出版社が
「ゴロで覚える○○」やら
「カリスマ塾講師の実況中継」やらと変わらない。
私は子供時代、そういう「受験のためだけの勉強」を頑なに拒んで
塾に一切行かなかった人間なのですが、
なんでって、そんなことやって得た「知識」って
いったい何になるの?と子供の頃から疑問に思っていたからなんです。
確かに行きたい大学に受かりたいし、ちょっとでもいい大学に行きたいっていう
気持ちはわからないではないけれど、
じゃあ、みんなが東大行けば、幸せになれますか?
いい大学行った人だけがいい社会人、いい親になってますか?


ぜーーーーーーったい、そんなことない!


勉強ができること、いい大学に行くこと、はあくまでもその人の「一部」で、
その人にとっても周りの人にとってもそれがすべてじゃない。
だったら、そんなおかしな「受験勉強」を自分の学生時代のほかのいろんな楽しみを
犠牲にするくらい必死でやって「身の程以上の大学」に行くより、
自分の「今」を楽しみながらバランスよく勉強もほどほどにして
「身の程に合った大学」に行って自分らしく過ごした方が
よりその人の人間としての魅力をアップさせられると思うわけなんです。

そんなことを学生時代から頑なに考えていた私も変わり者だったんでしょうが、
そんな過ごし方をしてもそんなに苦労なく希望通りの進学ができた私は
確かに勉強はできました。
だけど、それで自分の今がすべてそのおかげで幸せかというと
まったくそんなことない。
ただ、塾に行かず、ゴロ合わせ本に頼らなかった代わりに、
自分で勉強の仕方を考えたり、情報のまとめ方を考えたり…
そうやって努力を積み重ねたことは
社会人になってからの仕事や退職後の資格試験の勉強にも役立ちました。

そしてそれ以上に勉強はマイペースでやりつつ、
自分が常に興味を持ったことにチャレンジしたり、
友達と部活や学校行事を楽しんだり、
そんな中で自分の心で感じ、頭で考え、体で動いてきたことが
今の自分の幸せにつながっていると思います。

ここで、子供の教育、タブレット学習に戻ります。

親は子供の学校の成績が悪かったり、自分の思うとおりに勉強したりしてくれなかったら
腹も立つし心配にもなると思いますが、
はっきり言って私たちの頃と今、そしてこれからの社会は全く違います。
私たちがおもに子供時代に必死で学んできた「知識」なんて、
今は指一本あればすぐにパソコンやスマホが導き出してくれますよ。
大人だってそうでしょ?
昔覚えてた漢字ですら、使わなかったら忘れる。
でもスマホ使えればすーぐ、ネット上で誰かが答え書いててくれるじゃないですか。


タブレット学習はそういう意味では知識を増やすための単なるゲームですよ。
しかもそれ、今ただ覚えたって数年後には忘れてる。
でも忘れたってその時またスマホで調べたら「答え」の出せるただの「情報」です。
そんな指一本で出てくる知識を頭に詰め込んで
「数字」を獲ることってそーーーんなに大切ですか?


これだけ情報のあふれかえった世の中で、
これから生きていく子どもたち(私たち大人もですが!)に求められる「本当の力」って何か。

それは、「人間関係力」と「情報活用力」です。
情報をたくさん知っている人が偉いんじゃない、
その情報をどう使うか、それを使ってどうやって自分や周りの人を幸せにするか、
その答えを自分なりに出せる人が、幸せな人間になれるんです。

埼玉で中学生が惨殺された事件や市議がFBで腹が立った中学生の画像を掲載した問題など
日々起こっている問題の多くは
「人との関わり方、コミュニティーの問題」

「あふれる情報、情報ツールを活用する側の問題」
これに尽きると本当に思います。
過去の大事件、オウムの事件なども、頭はいいけれども
人間関係や生き方で何か疑問を抱えていた人が
自分の頭で何が正しいか判断できない状況に陥り、
周りの抑止力が効かなかった結果、ああなってしまったわけですよね。


子どもだけじゃなく、私たち大人自身も含めて。
自分で答えを導き出す力と
よりいろんな価値観を与えてくれる人、
自分のことを本当に考えてくれる存在、コミュニティー
本当に大事です。


ただもちろん最低限の読み書き計算は必要だし、
脳がどんどん発達する子供時代に
脳を使うために勉強することそのものはとても重要なことです。
なので子供が勉強しなくていいという発想にはならないわけですが、
それにしても、脳の発達はただタブレットが言うことを一方的に受容したり、
一人で「できた、わーい」って喜んだりするだけでは
不十分なんですよね。
一斉学習でノートを取ったり、マンツーマンで一人の先生に
教えてもらったりするだけでも同じこと。




人は人の中でしか育てない。




周りの子どもや大人、なるべくいろんな人となんだかんだ言いあって
いろんな価値観に触れて、
時には傷つけ合うことがあっても心を刺激されて、
それに対してネット上には載ってない、自分なりの答えを頭で考えて、
体で表現して、
それでまた傷ついて考えて…
そうやって成長していくんです。頭も、心も、体も。


だから、例えば家にご家族がいつもいるとか、外で毎日めいっぱい友達と遊んでいるとか、
特別な運動をやっているとか。
そうやって心や体がすでに満たされている子供が
ほんのちょっと頭の部分を残された短い時間でプラスに持って行くために
タブレット学習や個別塾なんかを利用するのはすごい有効だと思いますが、
(それこそCMで起用されている本田圭佑や長谷部誠など)
家に親もいない、帰っても学校の延長でただ友達と黙ってテレビゲームしてる、
というように「学校」「家庭」というコミュニティーしか持たない子供、
しかもそれぞれが希薄だと余計ですが、
そういう子どもに「成績上げてほしいからタブレット学習、ばりばりの進学塾、個別塾、家庭教師」
っていうのは、どうかなーと思うわけです。
それでその子の今の成績は一時的に上がったとしても
人間として一体その子の何が「育つ」のかなと。
あ、「勉強って意外と楽しいやん」っていうきっかけにはなると思いますけどね。




短文でまとめるのが下手すぎてだらだら長引いてすみません。
が、大切なことをもう一度言います。




人は人の中でしか育てない。




だから私は学研教室を「成績を上げるための塾」にする気はない。
「家庭」「学校」以外の「第三の場」として
私-子どもだけでなく、子ども同士が関わり合うことで
「人間的に成長するのを見守る場所」だと思っています。
親や一度に30人相手にする学校の先生だといらいらしてできにくい
「気長に見守る」ということを、なるべくできるようにしたいと思っています。
そして算国の学習はあくまでもその一つの代表的なツールだと思っています。
本人の心が育てば、学習の結果は時間がかかっても必ずついてくると思うし、
万が一学習面では花開かなくても、その子にはちゃんと
ほかの武器が備わっているはずですから、
生きていくのには何の心配もありませんよ。
逆に勉強ができても心が育ってないな、と感じる子、
特に自尊心のない子供を見ると…本当に、本当に心配になります。
どうにかこうにか、自分にできることはないか、
考えていきたいと思います。
そんな思いで、H27年度も学研をやっていきます。


長すぎですね。
しかもまとまりない…
そういう力は、私の今までの人生では育ってきませんでした…残念。

拍手[4回]

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同意します
長文すみません。


夜中に目が覚めて、再度寝ようと思ったけど、布団の中で、これをちらりと読んで、むむむ、と感じる物があって、起きてしまってこれを書いています。
お久しぶりです、おはようございます、お元気そうですね((^_^))

結論からいうと、賛成です。
それもこの数年の自分の経験から、まさにそう思うのです。

現在作業療法士として、アルコール依存症専門の病院で勤務させていただいています。そこは電子カルテもなければ、部署ごとに一台パソコンが置かれているだけの、ほとんどアナログ環境な職場です。

作業療法は、デジタル抜きの作業という完全なアナログな治療を主としています。

僕のような19歳からワープロで文章を書き、20代前半でPCを覚えて、20年以上デジタル至上主義の人生をほぼ生きてきた私からして、そして、数年前の4年間、国家資格取得の学校で殆どパソコンで学習していたものが、何故、このタブレット学習を懸念するのか。今現在もパソコン3台、タブレット2台、スマフォ3台所有する強者だと自分でも思います。

今の職場で働き始めて、デジタルに触れる機会が、以前の10分の1に減りました。使えないという物理的な制約でもあるのですが、その使い方が変わったということでしょうか。

資格取得の学校では、学校の反対を押し切り、ノートPCで記録を付け、勉強に反映させました。記録や配布されるプリント、調べた物のスキャンやネットの医療情報、全て、あるデータベースアプリで管理していました。留年の多い中、4年で卒業して、資格も取れましたが、記憶に定着などしておりません。

調べたら出てくる、より便利な自分のデーターベースを構築したに他ならない。結局国家試験の勉強は、最低必要な2冊の受験用冊子に絞って、いつでも隙間で勉強出来るようにそれを裁断して常に持ちあるいて、繰り返しアナログで書込ながら、やっただけです。

今の職場ではパソコンが使えないのでさっさと諦め、ポケットにメモ帳、A4のクリップボードと筆箱に筆記用具を用意し、それを仕事の道具として愛用しながら行っています。

何が大きく変わったか。

時間をかけて、丁寧に、考えるようになったのですよね。というか、時間をかけざるを得なくなったと言う方が正しいかも。鉛筆で書きながら考える。白い紙と鉛筆の自由度にやはり、いろいろ試したけどタブレット含むデジタルは敵わない。

漢字がすらすら出てくるし、文章においても、消せないから、まとめたり、書く内容を一部想起してから要旨をまとめて、筆記するようになるから、いわゆる脳のバッファの部分が以前より広く使われているような気がします。

このデジタルからアナログへ移行する際、結構本を読んで見たんですがね、建築や家具などのデザイナーでも、出版の編集でも、テレビ局のプロデューサーの方でも、結局考えるツールは、ペンとノートなのだそうです。
この考えるツールがアナログというところが必要な要素だと思う。デジタルはどうしても制約があるんですよね。作り上げたら、見たり検索するには本当に便利だと思うけど、作り上げる過程での自由度がない。

そういう意味では、アナログは情報に関して作ったり考えたりする道具として必須、情報を活用する上ではデジタルはあればより便利というもののような気がします。

もうひとつ最大の理由として。

アルコール依存症専門病院の治療は、根本に人間関係の構築に根ざしています。アルコール依存症に罹っておられる患者の多数は、職場や家族との人間関係にも迷惑をかけて破綻をしております。またアルコール依存症は否認の病気といって、認めないことを認めることが第一歩でそこから時間をかけて治療していきます。入院中は厳しいルールに則られた時間の中で生活します。限られた時間のNHKのみのテレビ視聴。毎日のミーティング、作業療法など。退院したら、病院近くで部屋を借りて、一人暮らしし、毎日通院(デイケア)し、一日数百円の金銭管理の中、衣食住をやりくりし、夜は自助グループ(依存症の共に助け合うグループ)に参加します。半年の単身生活で大丈夫だろう、と医師が判断したものが家族の元に帰宅出来ます。この厳しい治療でも完全に治りません。7割近くの方が、スリップ(飲酒)し再度入院するか、亡くなるか、失踪します。

この方達の生活は、一部が許されて携帯を持たせて貰えるだけで、完全なアナログです。それも、時代錯誤バリバリな古きアナログ生活です。入院でも単身生活でも許されるのは手帳(ノート)と筆記用具だけです。あとは一日数百円の中からやり繰りして自分で購入するものは酒以外なら許されますが、高価な物は購入できません。

この方達がこの厳しい管理された暮らしの中で、治療する上で、一番必要であり、大切なものは何かというと、人との関わりなんですよね。彼らは同じアルコール依存症の人間を仲間と呼びます。過去の酒の苦しみを分かち合ったり飲酒欲求が出たら仲間に相談したり、一日の大半をこの仲間と時間を共有する中で、治していきます。

どんなに反発的な人でも、ある日ふと、高齢者の方の気遣いをしていたり、丁寧な言葉遣いをしていたりする。最初は病院の環境上、半強制的な側面も否めませんし、最初私も驚いたけれど、でも身の回りのほぼ全ての人間が温かい人間性を持っていると、後から参加した人にもそれが感染していくのを感じます。というよりも、カルテに書かれてあって、過去にどんなひどいことをしていた人でもね、入院して挨拶に行って話すと、皆根本的にとても人のいい人ばかりなんです。人は、見栄や忍耐やあらゆる束縛から、解放されたり諦めたりすると、素のその人の根本の人間性を露呈させます。多くの人は皆穏やかな人が多い。この病院はそれを思い出させる環境なのだと思います。人の本来の温かみをこのデジタル含む社会のシステムは必要以上に忘れさせてしまっているような気がします。

長くなりましたが、アナログ的な部分は、時間はかかるけれど、デジタルでは得られない必要な部分があるのだということを伝えたかったのでした。

産業革命以降人の暮らしが変わって印刷により書き写す行為が減り、ネットによってさらに配布が容易に可能になりました。そういった便利な時代の変化の中で基礎的な部分も変わらざるを得ないというか、変わるべきなのかもしれないと思わなくもない一面は感じてもいます。ただその弊害には産業革命以前になかった精神病や障害も生まれました。人は本来そんなに制約のない自然の中で育ち、形式的には今の平等性や自由がなく厳しい差別や制約はあったにせよ、心の上では現在よりはもっと自由であったはずです。ネットによって効率性が高まり、流通や人とのコミュニケーションが近くになったにもかかわらず人は新しい複雑なものを生み出します。所詮人はどんなに便利になろうとこれだけの人の数集まれば複雑にならざるを得ないのかもしれません。だからこそ、便利な部分と不便だけれど大切なものを使い分ける工夫をしていくことこそが、特に我々大人よりもこれからの子供達に必要なスキルなのかもしれませんね。

まとまりない長文失礼いたしました。

中嶋
中嶋 慶太 2015-04-02 (Thu) 08:38 Edit
ありがとう!
けいたさん、ありがとう!!

アルコール依存とかに陥った人は
言い方悪いけど、社会からドロップアウトした人よね。
でも、本当のところはみんな同じ人間で、
その人が特別何かだめだったというよりは
不幸なマイナス要素が重なった結果なんじゃないかと思う。
つまり、自分も周りの誰もが
今持っている何かをいくつか失えば
同じことになりかねない。

その持っているものの中で特に大切なのが、
ツールを「ツールとして」使いこなすだけの能力、環境、
つまり、ツールがなくてもちゃんと自分の頭と心と体で生きていける基礎、みたいな
もんなのかな、と。


しかし、あんなにデジタルだったあなたが!
ちょっとびっくり。

そして自分自身、偉そう言いながら
もうすでにペンとノートで考えるより
打つ方が楽になっていることに反省…

もともと字が汚いってのも大きいけどね、w

長文、本当にありがとう!
moisa 2015-04-02 (Thu) 15:36 Edit
無題
こんにちは
たまたま目にした記事が面白かったのでコメントしました。私も同意見です。
小5、小2、年少の息子たちは出来る限りデジタルメディアを遠ざけて育てています。ゲーム機なし、テレビも週3時間、習い事なし、毎日外遊び・アナログ遊び放題です。学校の勉強は宿題もさせていません。(いろいろな理由があります)

他の記事も読ませていただきました。私も結構同じようなことを考えて学習教室をやっています。だからmoisaさんが教科書準拠の学研教室をされていることに違和感を感じました。
否定したり、文句を言っているのではなく、不思議だなぁという感じです。(不快に感じたらごめんなさい)

でもmoisaさんのような方が学研教室にいるんだと知って嬉しかったです。頑張ってください。

これ、私の教室のブログです。かなりの毒を吐いていますけど、よかったら暇な時にでも読んでみてください。
http://pegashin.blog53.fc2.com/
金森 2015-12-24 (Thu) 19:40 Edit
Re:金森様
コメントありがとうございます!
ブログちらっとですが拝見させていただきました。
なんだかすごい!やりきってますね。

私は直感的でめんどくさがりなので
学研って言う教材、制度を利用しながら
世の中の子育てに関わってるって感じですかね。
楽をしながら。
今は教育が本業でもないですし、
元々両親も私自身も学校の教員だった身ですので、
学校教育の基礎から大きく離れたことをするほどの
力や頭はないです。

ただ、うちの教室の中は実際「学習塾」とは程遠い雰囲気だと思いますよ。
子どもたちは遊びまくってます、苦笑。
合間に課題をやってる感じですね。

正直言うとあとかたづけが面倒なのと
やはりまじめにやっている子もいるので
めんどくさいなあと思うことも多いですが、
学研も含めて毎日習い事やなんやで遊ぶ時間もあまりなく、
この辺は公園などもないので外で遊ぶってことも
あまりない子どもたちの現状を考えると
まあしかたないか、
っていつもそんな感じです。

金森さんのようにやりきっている方を見るとすごいなと思いますが、
私の生活と性格上、今後もこんな感じで
理想を吐き出しつつ、
現実と折り合いをつけながら
適当にやっていくだろうなって感じです。

コメントありがとうございました!
がんばってくださいね!
2015-12-24 (Thu) 22:47
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鍼灸師・あん摩マッサージ指圧師
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食べる、波乗り、猫、クラブ、ヨガ、バレエ、ダンス、スポーツ観戦(プロレス、フィギュア、柔道)
自己紹介:
HARI salon & studio MOISA
香川県高松市桜町1-16-19
 080-1993-2113
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 (完全予約制、~17:00は要前日予約、電話受付は~23:00)
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