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香川県高松市の HARI salon & studio MOISA の院長のブログです。タイトル通り、毒を吐くことも結構あるかも…?
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昨日学研教室の四国ブロック研修会に参加してきました。

私がいつも学研教室でいいな、と思うのは、
「学習塾」でありながら、教科指導以上に「人間的な教育」「子どもの成長」を
大切にしているところです。

今回のことばキャンプの主催者である高取しづか先生の講演も
本当によかった。

実は先週高松事務局内で5分間くらい自分の思いをお話させていただいたんですが、
先生が目指されているのはまさに私が目指すもので、
試行錯誤しながらなかなかうまくいかない私に
より具体的なトレーニング方法をたくさん教えてくださるものになりました。

先生のHPちらっとのぞかせていただきましたが、
タイトル
「幸せになれる子」に育てたいあなたへ

ことばキャンプのサブタイトル
21世紀を自立して生き抜ける子に

私が求めているのはまさにこれなのです。
それは、先生自身がアメリカでの生活やご家族との経験で感じられたように、
私自身、今までの経験で心底感じてきたからなのです。


ちょっと長く、そしてもしかしたら重くなりますが、
私の話を踏まえて書かせていただきます。



----

二十歳の頃、私は自分のことが大嫌いだった。

県内一番の進学校に通い、
クラスでは常に学級委員長、部活では部長、
親や先生や周りからの信用も厚い、
勉強もそんなにガリガリしなくても国立のそれなりの大学に合格。



履歴書だけ見れば、「優れた」大学生だった。
でも、どんなに周りから信頼されても、一番大切な、自分からの信頼は得られなかった。



いろんなことに自信過剰でありながら、
一方ではものすごく自信がなくて、そんな自分が嫌いだったのだ。


今から考えると、要するに、自尊心が育ってなかったのだ。
(そういう自覚をするのも、自分がダメ人間であることを認めることになるような気がして、

結構時間がかかったけれど。)



高校までは常に周りが課題を与えてくれていたので、
それに対してがんばり続けることで充実した生活が送れていた。
与えられた課題を自分なりにうまくこなすことはすごく得意だったので
周りからも悪い評価を受けることなんてなく、
友達とも普通に楽しくやっていた。
(ひねくれてるところは多少あったけれど。)


 


それが、大学生になって自由度が増し、
忙しい運動部ではなくゆるーい文化部で誰も私に注目しなくなった結果、
突然自分のことが大嫌いになってしまったのだ。
なんでそんな風になってしまったのかよくわからないけれど、
とにかく自分より友達を優先する彼氏にイライラし、
周りの同級生たちがなんにも考えていないバカな子どもに見えて、
大学時代はほとんど友達付き合いをせず、いつも一人で行動していたし、
うまく笑えなくなっていた



今思うと、それまで当たり前に受けてきていた他人からの評価を失ってしまい、
何にがんばったらいいのか、どこで自分を評価してもらったらいいのかわからず、
自分に自信を持つことができなくなってしまったのだと思う。



 

 

そのときになって初めて、自分は今まで
すべて人から敷かれたレールの中でしか力を発揮できない人間だったことに気づいた。


自分で選択してきた、努力してきた、そう思ってきたけれど、
大人や周りが期待することを先に感じ取って、
それをなるべく高いレベルでこなしていい評価を受けてきた陰で、
子供の自分が本当にしたいことや逆に本当はしたくないこと、
人を嫌いになることや周りに迷惑をかけるかどうかなんて関係なく感じる素直な気持ちを
ないがしろにしてきたのだ
、ということになんとなく気づいたのだ。








誰かから与えられた「正解の用意された課題」について
常に高いレベルで解答を出すことを繰り返してきた結果、
例えば人と話していても無意識に相手と張り合い、
自分が上に立てるよう隙のない解答を用意しようとしてしまう。


私が求められてきたのはイエスかノーか、より高い点数や、
周りの人がすごい、よくできる子だね、と喜ぶことだったから、
相手と自分の間に上か下かしかないのだ。





だから私が一生懸命しゃべると周りの人は口を挟みづらくなるらしい。
そしてこれは今でも変わらない(笑)


blogやSNSなどにもコメントがほとんどつかない。
「自己完結してるよね」と指摘してくれた友達がいた。
なるほど、と思った。
自分のいい部分も悪い部分も受け入れて開き直った今なら
ま、それが私だし、しゃあないわ、で済むけれど、
自尊感情が低く、人から評価されることでしか自分を認められない状態においは
孤独と自己嫌悪、そして周囲への妬みばかり生まれてしまう


周りに評価されるような立派な人間になろうとがんばってきたのに、
どうして誰も私を認めてくれないの?
私は誰からも好かれていない。私もこんな自分大嫌い。
なのに私より勉強もできなくて努力もしてない人間がどうして私より好かれてて幸せそうなの?




こういう気持ちがもっとひどくなり、マイナスの気持ちが自分に向くと
うつ病や自傷行為につながり、
外に向くと他人を傷つける行為や反社会的な行動につながるんだと思う。
そこまでわかりやすい行動になる人は少なくても、
同じような精神状態にある人、ぎりぎりの人は
世の中きっと少なからずいると思うし、もしかしたら
誰もが一度はそういう経験をするのかもしれない、
自覚するしないは別として。




高校生まで私はずっと自分を「優れた」「いい子」だと思っていたと思う。
というか、そういう風に生きることが当たり前だと思っていた。


でも、自分が「優れた」人間だと思う裏には必ず他人をバカにする発想が生まれる




努力すればできることをしてないバカ


こんなこともできないダメ人間

自分がいろいろできてきたお母さん、
家のことや仕事をきっちりこなすお母さんが
いろいろできない子どもにイライラしてしまうのも
同じ発想です。




そして、他人に厳しくすることでますます自分の首を絞めていく





やればできるんだからやんなきゃだめ。


やらないと私は自分が嫌悪するバカなダメ人間になってしまう。
あいつみたいに。


あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ、もっと完璧に。




人に優しくする余裕なんてない。


特に自分より努力してない人間に。


だって、バカで努力もしてない人になんで優しくしなきゃいけないの?


甘やかしたらもっとダメ人間になっちゃうじゃない。


誰に強く迫られたわけでもないけれど、
自然と自分はいい子でいないといけないと、
自分の中に「モラルリスト」のようなものがあって、
そうできない自分を認められない自分がいた。


だから答えのない課題をこなすこと、例えば美術の授業などはとても苦手だった。


自分に才能がないのもわかっていたので最初から勝負したくなかった。


 


ただ点をとっていくスポーツも苦手だった。自分のミスで点が取れず、
負けるのが恐くて、練習でできることが試合ではできなかった。





世の中にもっと多様な価値観があるとか、
求められる結果を出すかどうかだけじゃなく、
ただシンプルに、回りの人をなんとなく笑顔にするとか、
楽しい気分にするとか、勉強や仕事ができなくてもやさしいとか、
そういうことが理解できなかった、というか認められなかった。
認めたら今まで自分ががんばってきたことは全部否定されてしまうから。




世の中の多様なよさを受け入れ、他人に優しくなれたのは30近くなってからだと思う。






点を取るスポーツは苦手だったけれど
ダンスにはひかれた。
芸術的センスはなかったけど身体表現は好きだったんだと思う。


努力すればちょっとずつできるようになるのも楽しかったし、
体で心を表現することは気持ちよかった。


採点はされるけれど一つのものさしではなく、
もともと主観の入る採点なので随分と気が楽だった。


最終的には好きか嫌いか、で、正しいか正しくないか、の勝ち負けではなかったから。
自分が好きな分野で、しかもある程度の自由度が許されるダンスは
私にとっては「他人からどう見られるか」以上に
「自分が心から欲するもの」だったんだと思う。

ダンスや対自然、それも海に癒してもらえるサーフィン、
自分の体や心と向き合うヨガ…そういういろんな趣味と
それを通じて出会った、
「勉強や仕事ができるかどうかとは全く違うところ」で付き合える仲間たちのおかげと、
自分の中のマイナス感情やダメな自分を否定せず、
人に評価されなくても嫌われてもおかしいと言われても
素直な感情を大切にするトレーニングをしてきたおかげで、
私は自分のことも人のことも愛すること、許すことができるようになった。





こういう経験を踏まえて子どもの教育を考えると。



自由度のない課題を与え、それに対する「出来映え」
=誰かの偏った価値観のなかでの競争を強いられてきた人間は
「優れた」人間であるにも関わらず、自尊心や幸福感とは程遠い人生を送ることになりかねない。



日本人の自尊感情が諸外国に比べ極端に低いのは
教育の犯した大罪だと思う。



   Q.私は価値のある人間だと思う(「全くそうだ」と答えた人の割合(高校生、2011年)  
     アメリカ  57.2%
     中国    42.2%
     韓国    20.2%  
     日本     7.5%


私は自分が味わってきた苦しみを子供たちに感じてほしくない。
そしてその苦しみを今も引きずってしまっている大人たちを
少しでも解放してあげたい。
そのために学研、もいさ、これらの仕事をしてる。




みんなちがってみんないい





みんな口ではそう言うけれど、
これを日本社会で育ってきた私たちが教育において本当に実行しようとするのは
はっきり言って至難の業だと思う。


わたし自身、こういう価値観を受け入れられなかった子供の自分を
ちょこっとずつ修正しながら、
他人にどう評価されるかではなく、
自分も他人も、幸せに生きるために、今の私にできることは何か、
必死で試行錯誤してる。





そんな今の私は、例えばSNSに100件もコメントのつく人を見ると素直にすごいなー、
この人のこの魅力はどこから生まれるんだろう、ととりあえず分析はしてみるものの、
自分のblogにコメントやいいねが全くつかなくても
ま、私ってそういう人だから、と流しつつ、またくじけずコメントしづらいblogを長々と書く(笑)


私には私のよさがあるし、数は少なくても支持してくれる人や
いいねしなくても心の中で何かを感じている人はいるはずだから。


それでいいんです。




あ、それでいいのだ、バカボン、深いなー。





私が今の幸せ、つまり自尊心と周りに惑わされず感謝できる生活を手にいれるのに
たくさん時間がかかって、たくさん苦労した。


それでも私は運よくこちら側に来られたけど、
30を過ぎても40を過ぎても、こちら側に来られず、
孤独や自己嫌悪感、他人への悪意とずっと闘っている人間をたくさん知っている。


それでもなんとか普通に日常生活を送れる人も多いけれど、そうできなかった人が
周りの人に自分の不幸や孤独の刃を向けて、さらなる不幸を産み出していることが多々ある。
そういう事件や場面を見ると本当に心が苦しく、いたたまれない。
だって、私もあのままいくとそうなっていたから。



だから、声を大にして言いたいのは、

教育を、子供を、全くのビジネスにしてはならない。


ただ自分に都合よくお金もうけしたいなら、せめて大人相手のビジネスでしてください。


教育は社会貢献にもなるけれど、大罪にもなりうるんです。
私みたいにしんどい思いをする大人を作り出す教育をえらそうに語って
お金もうけしないでください。






じゃあどういう教育がいいのか。


これ、大学の卒論のときにも、J先生に突っ込まれたなぁ。
自分の中には実感として答えがあるのだけど論文としては全然成り立ってなくて
悔しかったからいまだに覚えてる(笑)






私が目標とする教育は、

  • 同じ課題を与えても答えに自由度をもたせること

  • その子のペース、よさを大切にするシステムと雰囲気づくり

  • 何よりも課題の与え方や学習管理について、教師側の主導権をなるべく抑えていきながら生徒側の自律度を高めていくというバランスの移行


これらを備えたものだ。




つまり、先生という絶対的管理者が常に一つの解答のある課題を与え続け、
うるさく厳しく尻を叩いて正答を出させ、
より速く正しくたくさんの答えを出せたことにごほうびを与えて
新たなモチベーションとさせる、
日本が学校や塾で当たり前としてきた教育のあり方
とは正反対の教育だ。






いくら課題の点数がよくても、与えられた課題を一方的にこなしている以上、
子供に大きな人間的成長はない


自律した大人になるには、課題を自分で見つけて、
それも、正答が一つではない課題を自分で見つけて、
自分や周りが納得できる自分なりの答えを出さなければいけない。


どういう課題を見つけるか、どんな解決案を考えるか、どんな答えを出すか、
それらが「その人」を形作る。
彼の人生を幸せにも不幸にもする


学研教室の中にもいろんな先生がいるし、
多様な価値観を認めるという意味ではビジネス的なやり方も批判すべきではないのかもしれない。
また学研教室があくまでも公教育ではなく、「学習塾」である以上、
生徒数の少ない私より生徒数を増やしてロイヤリティーをたくさん上納する先生の方が
立場上えらいのかもしれない。
だけど、私はどうしても譲れない。
私たちが扱っているのは「物」じゃない。「大人」でもない。
「未来を生きていく子どもたち」だから。
お金よりも大切なものがあると思う。
勝ち負けや数字よりも大切なものがあると思う。
それらを大切にした上でついてくるお金、数字が
本当に価値のあるものだと思う。
そしてそれを実現させる可能性を持っているのが学研教室だと
信じてがんばりたいと思います。


また、とめどなく、長々と書いてしまいましたが…
これでいいのだ!w

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職業:
鍼灸師・あん摩マッサージ指圧師
趣味:
食べる、波乗り、猫、クラブ、ヨガ、バレエ、ダンス、スポーツ観戦(プロレス、フィギュア、柔道)
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